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2005年 06月 23日 ( 2 )
ハカランダの花に思う
出会いとは別れの入り口です。誰であれ出会った限り、いつかは必ず別れなければなりません。それは避け難い現実です。けれども別れを通して初めて出会う、そんな世界もあるのではないでしょうか。

5年前の今頃、私は南米を旅行していました。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスまで行った時、縁あってアルゼンチン唯一の真宗寺院、ブエノスアイレス本願寺教会と出会いました。まるで日本にいるかのような居心地の良さに、気が付けばなんと40日間居候していました。

40日居る間に多くの方と知り合いましたが、取り分け親しくさせていただいたおばあさんがいます。広島の可部から移民された方で、異国という環境が同郷であることの親しみを深めたのか、ある意味家族以上の付き合いをさせていただいたように思います。貧乏旅行をしている私のことを気遣って家の夕食に招いて下さったり、息子さんにガイドになるように頼んで下さったり…。とにかく、なんのお返しも出来ぬこんな私をとても可愛がってくださいました。もし広島で知り合っていたら、これほど親しくはなれなかったでしょう。

40日は瞬く間に過ぎ、アルゼンチンを離れる時が来ました。その別れ際、おばあさんは私に手紙をくださり、それにはこう書いてありました。

「大ちゃん、良きご縁におあいできてよかった。本当に40日間お寺にお参りするのが楽しかった。ありがとうね。又、お逢いする日を楽しみにしています。達者で元気でね」

人間として、僧侶として成長し、おばあさんに再びあいたい。もう1度アルゼンチンに戻らなければ。そんな思いが帰国後の私に力を与えてくれました。

2年後、念願叶いアルゼンチンを再訪することが出来ました。そして私は、おばあさんのお骨が納められてある本願寺教会の納骨堂にお参りをしました。おばあさんは私が帰国した後、間もなく亡くなられたそうです。

今の私を見たら褒めてくれるだろうか。喜んでくれるだろうか。そんな問いが頭に浮かび、私の話を聞いてくださっていた時の優しい笑顔が思い出されました。

私はおばあさんと再会出来なかったことを今でも残念に思います。けれど手を合わせお念仏するとき、お寺で一緒にお参りしていたときの光景がよみがえります。そこにはお念仏のはたらきにより、おばあさんと再会を果たせている世界があると言えるのではないでしょうか。どの縁が欠けていても出会うことが出来なかったと思うと、しみじみありがたく思えます。

もうじき桜の季節が来ます。アルゼンチンの春にはハカランダという紫色の花が咲きます。名を聞いて「儚い(はかない)」という言葉を連想しましたが、実際一夜にして散ってしまう風情は桜の花のように儚くもあります。その花が咲く頃、もう1度アルゼンチンを訪ねようと思います。人のいのちも花のように儚く、また2つとして同じものはありません。一寸先さえ見えない人生で、よきご縁におあいできたことを今は喜んでいます。


これは本願寺広島別院から月刊で発行されている『見真』の3月号に寄稿した文章です。

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by na1jp | 2005-06-23 12:52 | ハカランダの花に思う
ブエノスアイレスのお寺
よその国の世界地図を見たとき、日本は真ん中には描かれていません。国ごとに出版されている世界地図は、それぞれ自国が中央に描かれているからです。他の国がどこに描かれていようと別に気には留まりませんが、日本が端に描かれているのを目にすると、やはり違和感を感じます。そう感じるのは、私が日頃見ている地図と違うということと、私自身の日本への愛着のせいでしょう。

5年ほど前に南米を3ヶ月余り旅行したことがあります。好奇心、それと自分に箔を付けたいという思いからでした。計画を練り直しながらも順調な旅でしたがアルゼンチンに着いた時、ちょっとしたトラブルに遭いました。結果的には事無きを得たのですが、それがご縁となって私はアルゼンチン唯一の真宗寺院、ブエノスアイレス本願寺教会と出会いました。

当初2、3泊のつもりでしたが、ご好意に甘えている間に気が付けば40日も滞在してしまいました。滞在中、私が垣間見たものは、古き良き日本が残る日系人社会と、そこで大切に守られるお寺でした。
 
アルゼンチンの人口およそ3600万人のうち、97%がスペイン・イタリア系。国民の92%はカトリック信者です。日系人はわずか5万人ほどで、その中にも多種多様な信仰があるでしょう。それらを踏まえると今日の本願寺教会があるために、並々ならぬご苦労があったことは容易に想像出来るわけです。けれど日本のお寺1ヵ寺をみても同じことが言えるのではないでしょうか。労せずに易々と建立されたお寺など無かろうと思います。日本に仏法が伝えられたことを考えても、また同じことが言えるでしょう。多くの人々が仏法をよろこび、伝え、守り抜いてきて下さったお陰に他なりません。

親鸞聖人の著されたご和讃(わさん)のなかに「粟散片州(ぞくさんへんしゅう)」という言葉があります。粟粒(あわつぶ)を撒き散らしたような切れっ端の島国という意味で、日本を表わしています。聖人の中には、日本はちっぽけな端の国という意識がおありだったようです。その聖人にとって、師法然上人との出会いは何ものにも代え難いものでした。たとえ端の国にあろうとも、弥陀の救いにおいては御手の真ん中であると確信させる尊い出会いだったのです。

旅行から戻り実家の本堂にお参りした時、そこにはアルゼンチンと変わらぬ仏様のお顔がありました。平らな地図には必ず真ん中と端があります。地図の上で私は、真ん中から端に…と往復していましたが、ある意味では真ん中から真ん中に旅行していたのかも知れません。


これは本願寺広島別院から月刊で発行されている『見真』の3月号に寄稿した文章です。が、別の原稿が採用されたので、いわゆるボツ原稿になってしまいました。3月号に掲載されたのは「ハカランダの花に思う」です。

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by na1jp | 2005-06-23 12:39 | ブエノスアイレスのお寺
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