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とらないでください
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霧立ち込めるブエノスアイレスです。最近では明るくなるのも朝7時半を過ぎてからだし、一日中うっとうしい天気が続くんで日中も夕方みたいな感じです。湿気が強いので寒さは少し和らいでいるんですが、押入れの奥のほうの荷物が腐ってないかいつも心配になります。


日本にいたとき、たまにマンガ喫茶に行ってました。マンガが読みたくなったときと、急にメールでなにか送らないといけなくなったときとか。いつも行くマンガ喫茶はだいたい決まってたんですが、いつごろからか、


「最近、置き引きが多発しています。長時間席を離れる場合は、荷物を置きっぱなしにしないでください。」


という張り紙が張られるようになりました。実際にそのマンガ喫茶で逮捕された人もいた、とも聞きました。そんな話を耳にすると、「ここも物騒になったんだなあ。」なんて思ってましたが、ラテンアメリカをブラブラするようになってからは考え方を少し改めるようにしました。


持ち主がそばにいなくて放置されている荷物は「捨ててあるもの」、と考えてる(?)人が結構いるみたいです。「そんなわけねーだろ!」と思うんですが…油断すると無くなります。サルバドール(ブラジル)で干してたパンツが無くなったときは困りました。小学生のようにパンツに名前を書き込まなくてはいけなかったのでしょうか。
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↑歩いていていつも気になって見てしまいます。
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↑隣の犬。
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↑お寺のヒーター新しくなりました。
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by na1jp | 2006-07-08 06:37 | アルゼンチン共和国
お同行(どうぎょう)になりたい
「同行(どうぎょう)」


浄土真宗では頻繁に使う言葉です。立場の違い関係無く「同じく仏法を聞かせていただくもの」すべてを「お同行」と呼んでいます。お参りに来てくださる方も、お寺のお坊さんも皆お同行になるわけです。


日本を発ってから1年の月日が流れました。当初、私は「帰る頃にゃスペイン語でお説教の1つもできるようになってるだろう。」と簡単に考えていましたが…まったくもって甘い考えでした。結局、現在にいたっても私のスペイン語は生活するのにやっとの状態で、難しい内容に踏み込むとなにか言われるたびに、会話を止めて分からない単語を聞き返さなくてはならなかったりします。ましてや「スペイン語でお説教」をするとなると多くの専門用語が必要になります。そこに手を伸ばすには私はあまりにも未熟です。


ブエノスアイレスのお寺でいつもお話しをしてくださる先生は日系人です。日系人のご子息、子孫の多くにありがちなことですが、先生も日本語を日常的に必要とする環境で育たれなかったので、日本語を流暢に話すことがなかなか難しいようです。その先生の半ば片言の日本語でなされるお説教は、正直申し上げてあまり聞き易いものではありません。もちろん先生はスペイン語、あるいは英語でお説教することができます。そちらのほうがその言葉を母国語とする人たちに対しては遥かに聞き易いのです。先生にとっても。けれども、先生はいつも一生懸命に日本語でお話をされます。そこには、いつもお寺にお参りしてくださるご年配の移民一世の方々への配慮があるわけです。


定例の集会が終わって年配のお同行たちが立ち去られた後、若者向け(日本語が分からない人たちのため)に先生はあらためて仏教講座を行います。そのときの先生は先ほどまでの日本語とは打って変わって、実に伸び伸びと話されているように見受けられます。だからといって話の質が全然違う、ということも無いはずです。日本語、スペイン語、どちらのお話の中にも先生の「仏法に出あったことへの深い感謝」が滲み出している。もちろん「スペイン語版」のほうは私にはよく分からないんですけどね(笑


1つ私にも分かることは、「先生の日本語は少しずつではあるが日々上達している。それにつけては、間違い無く日本語の修練を欠かさず続けておられる」ということです。責任ある立場にいる以上、「義務」のような感覚で日夜全うされているのかも知れませんが、とにかく頭が下がって仕方が無いです。曲がりなりにも語学をかじってみた後だからこそ尚更感じているのかも知れません。ただそういう努力を続けることが私にもできるんだろうか、ということに言いようの無い不安は感じます。


ときどきこう思います。


「仏法は好きだ。けれどお坊さんでい続ける自信が無い。いっそのことお坊さんなんてやめてしまって、お寺にお参りしてお説教を聞くだけの存在になりたい。」


できたらどれだけか楽なことだろう、と思うこともあります。けれど、そこには「楽」と呼べるものは無いんでしょうね。それ以前に私のような人間は「行っても行かなくてもいい」ような状態になると、お寺なんかにはめんど臭くて行かなくなってしまいそうです。お寺にお参りするのは大変なことです。それが分かったのは、恥ずかしい話、最近のことです。


この境遇にあればこそ今の人生がひらけた。この境遇にあればこそ仏法と出あった。うまくいった過去も、うまくいかなかった過去も、選択肢のあった過去も、選択のしようが無かった過去も。すべてが紡ぎ合わされて今の現在に導いてくれたとするならば、私には感謝以外に持ち合わせる感情がありません。


もうここに居られる時間も多くはありません。名残惜しいことですが、帰り支度です。
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by na1jp | 2006-07-05 09:42 | アルゼンチン共和国
さかむけ(ささくれ)
毎年冬になると「さかむけ」ができる。爪の生え際のちょっと上のあたりが剥けてしまうアレです。「ささくれ」と言うほうが一般的なのかも知れませんが、うちの実家のほうでは「さかむけ」と呼んでいます。


このさかむけというのは、主に体のビタミン不足、水分不足、油分不足から来るそうですが、冬場乾燥した時期になる確率が高いです、私の場合。


そして昔から「さかむけしてるのは親不孝してる証拠」というふうに言い聞かされてきたんですが、これは「親からいただいた大切な体を粗末にしている」とか「さかむけになると痛くて親の手伝いもロクにできなくなってしまうから」という理由からきているそうです。


幼いころのイチダイ少年はそりゃあ悩んだもんです。「オレはそんなに親不孝モンなんだろうか?」と。


やがて成長し、「オレが毎年冬になるとさかむけするのは、親不孝とは微塵も関係が無い。」というように納得するようになっていたのですが、いま指の先にできているさかむけの数々を見ると、「ああ、オレって親不孝してます…。さかむけになっても文句言えないです。」と痛切に感じるのです。「親孝行、したいときに親は無し。」、てな言葉も胸を締め付けます。


関係無いですが、昨夜チョリパン屋の前を通ると、大将が店を閉め切って大暴れしていました。イスなどを放り投げてなにか叫んでいました。入り口の小窓から覗いていた他の人たちも、「今は放っておいたほうが良い。」と言ってました。大将にもきっと辛いことがあるのでしょう。アルゼンチンの敗退とか…。
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↑極まれにですがこういうものも食べます。サーモンばっかしはさすがに気持ちが悪くなります。
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↑ある方から「亀はどうしているのだ?」という質問をいただきました。現在亀は冬眠中です、多分。
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by na1jp | 2006-07-03 08:25 | アルゼンチン共和国
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