本願寺の歴史の中に8代目・蓮如(れんにょ)という方がいらっしゃいます。「本願寺中興(ちゅうこう)の祖」と呼ばれ、宗祖・親鸞(しんらん)聖人に次いで(並んで?)重要な役割を果たされた人物です。
この蓮如上人が仰った言葉を書きまとめた『蓮如上人御一代記聞書(れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき)』という書物の中に、以下のようなエピソードが登場します。
ある日のこと、
蓮如上人が廊下をお通りになられた時、
紙切れが落ちているのを見つけられて、
「仏法領の物をあだにするかや」
と仰り、両方の手で押しいただかれたのでした。
蓮如上人は、紙切れのようなものまですべて、
仏様より恵まれたものとお考えでしたので、
なに1つとして粗末にされることはありませんでした。
「仏法領の物をあだにするかや」
というのは、
「仏様より恵まれたものを粗末にするのか」
という意味です。
人は様々な区別のなかに生きています。大別すると「自分のものと他人のもの」あるいは「自分のものとそれ以外のもの」というふうに分けているのではないでしょうか。
ごく当たり前に思えることですが蓮如上人はそのようにはお考えにならず、すべて仏様のものであると受け取っておられたようです。
この話の中では、
「仏法領=仏様より恵まれたもの」
と理解するのが自然ですが、言い方を換えると、
「仏法領=仏様の願いのかかったもの・場所」
と考えることもできます。
「地球まるごと 宇宙の果てまで 仏法領」
↑仏教婦人会の『日々(にちにち)カレンダー』というものに書いてあった標語です。
これから始まる(であろう)旅行は、私が望んでいたことなのですが、世の中ただ望めば叶うというものではありません。様々な縁が折り重なり、理解を越えたところで繋がり合って今日を迎えています。
人生には自分とはなんの関係も無いように思えることが沢山あります。しかし、それらありとあらゆるものによってこの世界は形作られていると考えた時、私にとって無関係なものなどなに1つないのでしょう。
旅行中思いもよらぬことで、迷い、苦しみ、孤独になったり、不安になるかも知れません。
その時に、
いま出遇っている世界、これが「仏法領」なのだ。
世に2つとない縁によって出遇うべくして出遇えた。
と受け取れる身の上になれれば素晴らしいと思います。
そんな意味を込めて、
『仏法領をゆく。』
という題名にいたしました。